日本語には涙雨なんて素敵な言葉があるのを君は知ってた?

 

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自分にとって「英語」という言語を獲得するということは、自分の人生を左右させる大きな転機になるんだろうだと、これまで信じて疑ってこなかったけれど、実はそんなこともないのではという純粋な疑問を早くも抱き始めている。そもそも、英語が喋れないから英語に触れられないなんて只の言い訳でしかなかった。英語が喋れなくたってラリーペイジの言葉を一語一句理解することが、今の時代ならできる。ユーチューブの音声翻訳機能はあまりにも充実しているし、インターネットには彼のこれまでの言動が溢れかえっている。大切なのは英語という言語を堪能に扱えるかという問題ではなく、自分がどのくらいラリーペイジの言動を深く理解したいと強く思うのかということだった。たしかに、今の自分じゃ、よく知らない英語を読んだり聞いたりすることは一苦労だけれど、それがなんだと思うわけである。どんなに辛くたって振り落とされないように、しがみ付いていれば、それでいいんじゃないだろうか。アヴィーチーだってスウェーデンで生まれ育ったし、リーナストーバルズだってフィンランド で生まれ育ったじゃないか。自分は、これからも英語という言語をあくまでも選択(好きだから)していくし、日本ではないどこか別の国を居住地としては選び続けるんだろうけれど、でも英語が偉大だという幻想は英語に近づけば近づくほど消えていくんだということを肌で実感しているし、ていうか自分はけっこう日本語が好きだ。村上春樹が書いた小説をいっぱい読めるし、細田守が作った映画をたくさん見れるし、涙雨なんて言葉がある日本語がけっこう好きだ。