突然の終わり

 
どこにでもある、誰の目にも同じように写る日常だった。巨大な才能とは無縁の、何の変哲もない毎日だった、どこにでも転がっている毎日。学校ではノートを取り、居眠りをし、クラスメイトと話し、昼間の多くの時間を教室と廊下で過ごした。一日が終わる頃には真っ直ぐに帰路について、飯を食って風呂に入ってテレビを見て、宿題を終わらせ、真夜中になる頃にラジオを聞きながら眠った。僕は、そんな自分の日々や毎日に対して、特に不満や不平を抱くことなくこれまで人生を過ごしてきた。
 

 

 
際限なくどこからかやって来る日常は、決して刺激的とは言えなかったし、重みの欠いた重ねるだけの日々だったけど、別にそれが嫌だと思ったことはなかった。朝になれば文句ひとつ言わずに起き上がり顔を洗って目を覚ましたし、制服に着替え退屈な今日へと急足で出かけていくことを苦に思ったこともなかった。学校での目立たない生活は気にもならなかったし、大志を抱けとうるさいことを先生達の言葉は右から左へ流していれば問題はない。そもそも、大志だなんて大層なことよりも、僕は小さくてシンプルな自分の人生が好きだった(I like my small simple life)。
 
そりゃ僕だって人間だから、生きていればストレスは沢山ある。どれだけ自分が手を伸ばしても届かないような第三者を、いざ目の当たりにした時とかね、ちょっと羨望してしまうし時には嫉妬してしまったりする。でも、だからと言って果たしてそんなような感情が、一体どういう正体を持ってして、自分の胸をグサグサと刺しているのかなんて、結局のところ最後までわからないままだった。それらの正体を解き明かし、自分を真っ暗な洞穴から救い出し、自分の思慮を更に前へ前へ前進させることは、残念ながら僕には出来なかった、それに大抵のことは一晩寝てしまえばすっかり忘れてしまっていた。
 
 
僕には一歳年上の姉がいた、母親と姉との三人家族で、父親は僕が物心付いた頃には大きな病にかかり死んでしまっていた。残された母は、小さい子供二人を抱えながらも彼女なりに懸命に僕たちを育ててくれた。負けん気の強いタフな女性だった。あいにく(と言うべきだろう、やはり)その遺伝子は姉にも伝達され、僕の家の中で発言権はいつも皆無だった。姉は口喧嘩で僕を言い負かすたびに「あんたって、ヤワよね」と得意げに言った。競争することが嫌いだった僕は言い争いになると決まって先に誤ってしまう癖があった。険しい困難にしがみつく根性なんかかけらも持ち合わせていなかったのだ。時たま「俺って、きっと長生きはできないだろうな」なんて心の何処かで思ったことがある、だって自分の魂に生命力ってもんが全く感じなかったから。
 
まあ、結論から言えば、それは本当だったんだけどね。まさかこんなも簡単に、そしてこんなにも早い速度で、自分の命を国道47号線の鉄製ポールの横に落っこどしてくるなんて思ってもみなかった。僕の命は、警告もなしに突然に、僕の前から姿を暗ました。そして、僕は見事に彼の在りかを見失い取り戻すことが出来なかった。
 
自分の人生が、もっともっと長く続いていたら未来はどうだっただろうかって考えてしまうよ。だって、巨大な才能とは無縁のって言ったけど、それは実際のとこまだ分からないじゃん。僕の好きな小説家は「大きく育つものはゆっくりと育つ」って言ってた。もしも僕があの日、ハンドルの操作を見誤ることなく無事に家に帰れていたとしたら?あるいは長い長い人生のある時点において、不確定な未来へ向かって確かな人生の歩みを決意し、飽きることなく一途にその想いを追いかけ続けたりして、そしていつかは身を結び、少なくない人々の未来を灯してあげられるような人生を歩めたのかもしれない。(結局はというかなんというか)残念ながらそうはなってはくれなかったけど。
 
残念ながら僕の現実は、僕の運命は、生後17年目の1月の4日に終わりを迎えた。新年を迎えたすぐ後の、凍えるような午後にその事故は起こった。僕は緩やかな下り道のカーブに差し掛かる手前でハンドル操作を誤り横転したのだ。気が付いた時にはハンドルから手が離れていた、バイクは横転し横滑りで路肩にぶつかり煙をあげていた、そこそこスピードが出てたんだと思う、僕はすごい勢いで地面に投げ出されその勢いのまま鉄製のポールに腹部を強打した。鈍い音と共に強力な鈍的作用が身体中を駆け巡った。腹部の内部が激しく損傷し、内臓が一瞬のうちに再生不能な壊れ方で大破した。パーンッ!って風船が音を立てて破れるみたいに。そして僕は意識を消失し、間も無く死んだ。
 
ハンドルを切り間違ったとき「やばい」って分かったんだ。普段なら見えもしない一瞬を、僕は鮮明に脳裏に思い出すことができる。時間の進みがおかしな軸で歪みはじめ、世界は真っ白な幻影に包まれていくみたいだった、それを通り越した後の燃えるような痛み、爆発するような痛みも覚えている。鋭い痛みが僕の呼吸と意識を遮り、間も無く僕の世界は終わった。真っ暗な世界から僕は見ていた。だれかが動かなくなった体を運びだし、野次馬が取り囲む現場の光景を。17歳になったばっかりだった、なんてことのない休日になるはずだった。僕はただ、雑貨屋に行って古紙と画用紙と絵の具を買いに行こうと思っていただけだったのに。
 
僕の直接的な死因は、腹部並びに胸部などの主要臓器を激しく損傷させたことによる外傷性ショックが原因だった。見た目はそんなに酷い損傷をしてなかったから、母は今にもまた僕が目を覚まして起きてくるんじゃないかって泣いていた。「こんな早く死ぬなんて許さない」って泣き崩れていた。姉はそんな母の姿を後ろから黙って見ていた。彼らは突きつけられた現実に想いを託すことができずに立ち尽くしていた。彼らの鳴き声を、僕は全てが終わった後の世界から聞いていた。面と向かって謝ることができたらどんなにいいだろうかと願っていた、彼らの生活はその日を境に好転することのない大きな暗闇へと変わってしまったのだから。
 
あの日の出来事が全部夢だったらいいのにって切に願っているんだ。もしかしたら、忘れかけた頃に何かが僕の意識を揺さぶって、この尊い意識を、こっち側の世界に取り戻してくれるんじゃないかって夢想しているんだ。もしも神様がいるんだったら、今こそ神様が自分のことをどうにかしてくれるんじゃないかって、一瞬の衝撃の後に、あの場所に、あの日のあの時刻に、僕を戻してくれるんじゃないかって。でも、当然のことながらそんなことは決して起こらなかった。僕は確かに死んでいた、不完全かつ不本意な形で人生の幕を閉じていた。
 
僕が死んだという事実は翌日の朝にクラス会でしっかりと報告されたし、その事実は瞬く間に学校中に知れ渡り、僕は一夜にして触れてはいけないタブーのような存在になってしまった。新聞にも掲載されたしニュースにもなった。クラスメイト達は突然に消え去った一人の知人の死の記憶を頭に焼き付けることになった。"自分だったら"と自分の影を僕に重ね胸を痛めていた。彼らはきっとこれからの長い人生の最中で時折僕のことを思い出し、想いを馳せることがあるかもしれない。かつて同窓だったクラスメイトが若くして交通事故でこの世を去った事実を。唐突に閉ざされてしまった僕の未来を。そしてもしかしたら誰かに話すこともあるかもしれない。
 
僕は、彼らがそんな風に僕に同情するたびに、なんだか悔しくて悔しくてたまらない気持ちになった。やるせない気持ちに襲われた。彼らの記憶を全て根こそぎ奪い去って消し去ってしまいたかった。でも、もう踠いても遅いんだ、起こってしまったことはもう変えられない。時として人生は唐突で不変的ある。信じられないくらい唐突に未来は我々の身に襲いかかってくる。僕たちは今ここから身動きすることは全くできず、未来を待ち受けることしかできない。その未来がどんなものだったとしても、受け入れる以外には為す術もないのだ。
 
僕の姿はもう、どこにもなくなったいた。